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第60回目の嵐山もみじ祭が渡 月橋の上流一帯で行われました。
これは毎年嵐山保勝 会が主催して行われるもので、名勝嵐山の紅葉をたたえ、一 帯を守護する嵐山蔵王権現に感謝する催で、船上等で 優雅な伝統芸能が披露されました。
午後は下記の夕霧祭に参 加した島原の如月太夫によるお茶の野立や太夫道中等も行われ、訪れた 観光客は多彩な催を満喫していました。 |
夕霧祭[清涼寺(嵯峨釈迦 堂)] 撮影:2006 .11.12 下の画像をクリックすると拡大します
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江戸の高雄太夫、京都の 吉野太夫と並び称せられる大阪の夕霧太夫の墓がある 清凉寺で追善供養が行われ、島原の如月太夫による舞や太夫道中が 行われました。
夕霧は嵯峨中院の生まれで、京 都島原郭の扇屋四郎兵衛の抱え遊女から大阪に移り一躍有名になっ たもので、夕霧の類稀な[才・色・品・情]は多くの人 々を魅了し、近松門左衛門の歌舞伎狂言・浄瑠璃に劇 化上演されたことでも有名で、毎年11月の第2日曜日に嵐山もみ じ祭とタイアップして行われています。 |
お火焚祭[伏見稲荷大社] 撮影:2006.11.8 下の画像をクリックすると拡大しま す
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農耕の神を祀る伏見稲荷 大社の伝統行事として親しまれているお火焚祭が神苑祭場で行なわ れました。
これは秋の実りを感謝し 、神を天に返す[神送り]の一環としての神事でありますが、最近は崇敬者 や参拝者が万福招来や家内安全を祈願した護摩 木を燃やす様になったそうです。 |
かにかくに祭[祗園白川沿い] 撮影:2006.11.8 下の画像をクリックすると拡大 します
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祗園をこよなく愛した大 正の歌人吉井勇をしのぶ「かにかくに祭」が祗園新橋の白川沿いにある歌 碑の前で営まれました。
同祭は毎年、花街 祇園甲部の組合が開いているもので華やかな着物姿の芸舞妓5人が歌碑に 白菊をたむけ、参列した知人らが故人を偲びました。吉井勇 は1909年に石川啄木たちと文芸雑誌「スバル」を創刊し、 戦後は歌会始の選者も務めました。
晩年は祇園に通い「かに かくに祗園はこいし寝るときも枕のしたを水のながるる」を詠んだ ことで有名です。 |
京都御所秋の一般公開 撮影:2006.11.5  <紫宸殿> 下の画像をクリックすると拡大します
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京都御所の一般公開は例年春と 秋の年2回5日間程度公開されていますが、今年の秋の公開は1~5日間行 なわれました。
そして最終日の5日には京都蹴 鞠保存会のメンバーにより蹴鞠の実演が行なわれまし た。 |
曲水の宴 [城南宮] 撮影:2006.11.3 下の画像をクリックすると拡 大します
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奈良・平安時代の貴族の 遊びを再現する[曲水の宴]が3日、京都市伏見区の城南宮で開かれ ました。
当日は狩衣姿の公卿役を 務める男性5名と小袿姿の女官役を務める女性2名の歌人が遣水と 呼ばれる小川の畔に座り、
今年の歌題[9月9日(ながつき のここのか)]に沿った和歌を短冊にしたためた後、羽觴(唐の李白の詩文 に“羽觴を飛ばして月に酔う”とあり、盃の交換風景を偲ば せる。
羽は鳥の羽根、觴は盃の意味。 羽を重ね、その上に盃をのせて流した様に考えられる。)の盃を 飲み干しました。
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